ノミの登山 -友のつぶやき-

日々のカウンセリングや生活から感じられた、こころにまつわること、生きること、宇宙について、などを徒然と書かせていただきます。

· じぶん
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はじめまして。友です。

本日から、カウンセラーとしてのブログも初めてみます。

ここでは主に、生きるという事にフォーカスして、感じたことを綴っていこうと思います。

初めの挨拶にふさわしいかどうかわかりませんが・・・

最近「私はナニモノ」というテーマで考える時があるので、それについて書きますね。

夏のある日のワークショップで、「一番大切な時間は?」という質問を投げかけられました。

私の頭にはすぐに「自然に混ざっている時!」が浮かびました。

海に溶け込んでいる瞬間。山に登って緑の中の一部になっている時。「地球」そのものを感じられる場所に立つ時、私は本能的に喜びます(オーストラリアの北西の海っぺりに立った時、勝手に涙が溢れたあの感覚が忘れられない!)。それに気付いているから、自然に触れ合う時間をとても大切にしている、という自覚があります。ずっとこもっていてストレスたまってきた(汗)、と思った時、山や海に行くほどの時間がとれなくても近所の散歩をするだけで、道端の草木や動物・昆虫を観て和んで、体のこわばりがほぐれるのが分かります。

次に「一番大切なモノは?」という質問がありました。

初めに浮かんだのは「無い!」でした。

いや、そうは言っても、すべての物が無くて生きていけるか?と言ったらそうでもないし、もちろん「これ捨てるよ」と言われたら「嫌だ!それ大事!」と言うだろう物はたくさん浮かびます。でも、ここではそういうレベルじゃなくて、、だって「一番」大切、と聞かれているんですから。

すべてを失った時に、それでも手元に残しておきたい物、みたいな感じかな、と思いまして。

そうなると、意外と浮かばないもので。言ってみればこの命すら、そこまで行ったらもういらないって話になってくるかな~と思うのです。家が焼けた時、飛行機が落ちた時、天変地異が起きた時。最後に手にしておきたい物、しがみつきたい物なんて、やっぱり無いかもしれない。。

周りの方々は「家が焼けて残しておきたい物」みたいな基準も使いながら、様々なアイデアを聞かせてくれました。何か物を一つぐらい言っても良いのだろうけど、それが出来なかったのが私です。

いつ頃からそういう考えになったのか分かりませんが、「自分は宇宙の一部」という考え方がとても好きで自分にフィットしていて、「大きな力に包まれている自分」、「大きなすべての一部である」という感覚を持っていると、日々の何かに揺らされることが無いし、軸がぶれない。この安定感がとても心地よいと感じるのです。

だから、自己紹介とか「私は〇〇です」的なワークとかあるけど、そういう時、最近の私は「何ものでもないかもしれない・・・。」という感覚になってしまいます。

もちろん、所属の組織、住んでいる地域、趣味、持っている資格など、「〇〇のわたしです」という表現はたくさん持っているし、会う人に合わせてその辺は使い分けて、何とでも表現出来るわけで。

そう、「何にでもなれる」とも近いかもしれませんね。でも、それは「今を生きる」上での便宜上?みたいなもので、それ自体に意味があるものではないというか・・・。

様々な人に会い、様々な価値観に出会い、「それもあるね」「それも良いね」(共感)を繰り返しているうち、いろいろなものに溶け込みすぎて「本当の自分は何が大切で何を欲しているのか」みたいなことを見失ってしまった、ということでもあると思っています。良い状況ではないのかもしれない・・・。

けど、いちおう今現在の私、を表現するならば、そんな境地に立っております。

これからも自分の状態ってのは流動的でありますし、足したり、掘ったり、組み替えたり、、色々形を変えて漂って生きていくのかな~と。そんな風に思います。

1年後、5年後、10年後・・・!

その時の私は「〇〇のわたしです」の〇〇に何を入れるのかな?

検証しながらぼちぼち、生きてみましょうっと。